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アフマド・ヤサヴィー(1103~1166)

影響
アフマド・ヤサヴィーは後にブハラへと移住し、ブハラの高名な学者であったユースフ・ハマダーニーの下で修養を積むことになった。ヤサヴィーは中央アジアにイスラーム教を広めるための布教活動を行い、ブハラ地域において数多くの弟子を抱えることとなった。ヤサヴィーの詩は中央アジアのテュルク語文学において宗教民俗詩という新しいジャンルをもたらし、地域における多くの宗教詩歌に影響を与えた。ヤサヴィーはカザフステップにおける学問の中心地となるヤシという都市の建設に費やした後、63歳で瞑想生活に終止符を打った。テュルク語学者のハサン・バスリ・チャンタイは以下のように記している。「偉大なるスーフィズムの詩人ジャラール・ウッディーン・ルーミーをコンヤへと連れてきたのはセルジューク朝の王であった。そして、同じセルジューク朝時代、双璧と称されるアフマド・ヤサヴィーが生活し布教活動を行った。彼らのような偉大な師の教えは現代にも影響を及ぼしている」。また、ヤサヴィーはエドワード・キャンベルによりスーフィズムのホージャとして言及されている。

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体操~ドイツ体操~ ドイツ体操はバゼドー、フィヒテらの思想を継いだフリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーンによって1811年に創始された。バゼドーは神学教師であったが、哲学者ルソーの『エミール』に触発され、身体と精神は互いに助け合わなければならないと考え、その実現の場として1771年にデッサウに汎愛学校を設立し、平均台や徒歩競争などを含む体育法「ギリシャ体育」を生徒に施した。ヤーンは教育所を設立して高跳び用のスタンドなど体操用の器械を考案し、『ドイツ体操術』の著し、運動を愛国心に結び付け、旅先や公園で指導し、その発展と普及に努めた。今日の器械体操競技種目の大部分がヤーンの創案によるものである。その後スピースに引き継がれ、号令による運動や性別・年令に応じた段階的・組織的運動などを採り入れ、ドイツ初の器具装備の体操場を造った。1860年にはドイツ体操祭が開催され、今も4年に一度開催されている。スウェーデン体操の研究家ロートシュタインにより、青少年の体育手段として有害であるなどの批判を受け、激しい論争が行われたが、医者などの支持を得て、今日に至っている。