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4月, 2024の投稿を表示しています

窪全亮(1847~1913)

「稲城」の地名の命名者 1889年の市町村制施行に際して東長沼地区の5村が合併して新たな村を発足させることになり、新村長となる森清之助から新村名の案出を求められた全亮は「稲穂」「稲城」の2案を示し、そこから「稲城」が選定されたという。

ロバート・スチーブンソン(1803~1859)

ジョージ・スチーブンソンの息子 ロバートは、蒸気機関車のコンテストであるレインヒル・トライアルで優勝したロケット号の大部分を設計した。勢いづいた同社はさらにリバプール・アンド・マンチェスター鉄道やレスター・アンド・スワニントン鉄道などの新設路線に向けて蒸気機関車を製造した。

鈴木ひでる(1888~1944)

東京帝国大学へ 長井長義は、ひでるに対して「本郷の大学でより勉強すべき」と説いた。当時は本郷の大学では女性の入学は許可されていなかったが、長井は彼の弟子である近藤平三郎に、ひでるが大学で学ぶことを依頼した。こうして長井の計らいにより、ひでるは現職のまま、異例の東京帝国大学の女子専攻生となり、近藤平三郎の指導を受けることとなった。

アリス・ギイ(1873~1968)

『キャベツ畑の妖精』 アリスの自伝によると、1896年にゴーモン社はフィルムの現像と焼き付けのための研究所を創り、そこのスタッフたちが自社の開発したカメラのデモンストレーションのために、軍隊の行進や駅に到着する列車などの実写映画を撮影していたが、アリスは子供の頃からたくさんの本を読み、アマチュア演劇もしていた経験から、もっと筋立てのある作品を作ることができると確信し、ゴーモンを説得したという。自伝で言うには「若さ、未熟さ、女性であること、そんなすべてが私の力」となり、ゴーモンから「秘書としての仕事の妨げにならないこと」という条件付きで撮影する許可を取り付けた。そしてアリスは、同年に友人やカメラマンのアナトール・ティベルヴィルとともに、研究所のそばにあった壊れたテラスをスタジオ代わりにして『キャベツ畑の妖精』を撮影した。赤ん坊はキャベツ畑から買ってくるというフランスの古い言い伝えに触発されたこの作品は、妖精が畑のキャベツから次々と赤ちゃんをとり上げるという内容で、アリス曰く作品は成功を収めたという。