米西戦争~港の封鎖と閉塞~
劣勢なセルベラ艦隊では陸上側からの催促もあって出撃が何度か検討されたが時期を得ず、ついにアメリカ海軍のサンプソン少将の艦隊はサンチャゴ・デ・キューバ港を封鎖した。5月31日、6月6日、12日、16日には港口要塞へ艦砲射撃があり、更に6月3日払暁には給炭船メリマック号による港口の閉塞作戦が実施され、当初セルベラ艦隊では撃沈の戦果を報告したが、後に湾港を塞ぐ目的の自沈と判明した。6月22日、アメリカ陸軍の第五軍団がサンチャゴの東側に上陸し陸側からの圧迫をはじめ、海軍もグァンタナモ港を占領して港の封鎖を厳しくした。キューバ総督ラモン・ブランコ・イ・エレーナス中将やサンチャーゴ州総督アンセニオ・リナーレス・ポンボ中将からの出港の催促が繰り返され、7月1日にはエル・カネー村とサン・ホアン丘陵で陸戦があり、アメリカ陸軍は両地を確保したが、犠牲が大きく前進を止めた。この戦いには艦隊からも1000人の陸戦隊をエル・カネーに派遣して応戦しており、指揮官のブスタメンテ参謀長が重傷を負っている。リナーレス中将もこの戦いで両足を撃たれ後送中に戦死した。
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