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アウルス・コルネリウス・ケルスス(前25~50)

医学論
病気の治療に関するケルススの手法の原則は、健常な身体の働きをよく観察し、患者の身体がそこから外れていれば矯正するというものである。彼は発熱を、病的な何かを体外に追い出そうとする自然の作用であると認識しており、それを闇雲に止めようとすることは却って健康に害があると考えていた。ただしケルススは瀉血と瀉下薬の使用を詳細な説明と共に推薦しているほか、彼の処方は多くの点で19世紀以降の医学とは隔たりがある。ケルススは阿片を用いた調薬についても詳細に述べている。さらに、彼は1世紀のローマにおける様々な外科治療について書き残している。例えば白内障の除去、結石の処置、骨折の治療などである。

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度会家行(1256~1351)

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フリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーン(1778~1852)

体操~ドイツ体操~ ドイツ体操はバゼドー、フィヒテらの思想を継いだフリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーンによって1811年に創始された。バゼドーは神学教師であったが、哲学者ルソーの『エミール』に触発され、身体と精神は互いに助け合わなければならないと考え、その実現の場として1771年にデッサウに汎愛学校を設立し、平均台や徒歩競争などを含む体育法「ギリシャ体育」を生徒に施した。ヤーンは教育所を設立して高跳び用のスタンドなど体操用の器械を考案し、『ドイツ体操術』の著し、運動を愛国心に結び付け、旅先や公園で指導し、その発展と普及に努めた。今日の器械体操競技種目の大部分がヤーンの創案によるものである。その後スピースに引き継がれ、号令による運動や性別・年令に応じた段階的・組織的運動などを採り入れ、ドイツ初の器具装備の体操場を造った。1860年にはドイツ体操祭が開催され、今も4年に一度開催されている。スウェーデン体操の研究家ロートシュタインにより、青少年の体育手段として有害であるなどの批判を受け、激しい論争が行われたが、医者などの支持を得て、今日に至っている。