ナポレオン戦争 ドナウ川上流のウルムにいるカール・マックのオーストリア軍がフランス軍がシュヴァルツヴァルトに到着する前にドナウヴェルトへ撤退したウィーンに駐屯するミハイル・クトゥーゾフのロシア軍と合流するのを防ぐためナポレオンはイラー川での戦闘を決心、デュポンはドナウ川の左岸を制圧するよう命じられた。彼の部隊は3個歩兵連隊、2個騎兵連隊、数門の大砲しか持たない6,000人でありウルムのマックが60,000人の全軍で押し寄せた場合、危険となる任務であった。10月11日に行われたフェルディナンド大公の率いる25,000人とのアルベックの戦いでは彼は激戦の末、4,000人の捕虜を確保する活躍を見せてオーストリア軍がウルムからボヘミアへ撤退することを阻止した。10月13日にナポレオンがウルムに到着するとドナウ左岸にいるデュポンの軍が孤立していることを知り、ネイにデュポンとの連携を取るように命令、10月14日にエルヒンゲンの戦いで彼らは勝利しウルムの包囲網が完成した。ウルムの戦いの後、彼の部隊はオーギュスト・マルモンの軍団と共に進軍し、その後エドゥアール・モルティエの指揮下に入った。11月11日には数で大幅に勝る相手とのデュルンシュタインの戦いで部隊は大打撃を受けたが善戦した。この時の大損害を受けたため彼はアウステルリッツの戦いには参加しなかった。