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投稿

甘粕景持(1529~1604)

第四次川中島の戦い 上杉政虎は、1561年8月、川中島に出陣して甲斐国の武田信玄と対峙した。この戦いで千曲川に布陣して妻女山から下ってくる武田軍の別働隊と戦闘を繰り広げて時間を稼いだ。その後、本体と合流し、撤退する上杉勢の殿軍を務めた。後世に長重の名前が残る活躍となった。この戦闘で長重は左の首筋を負傷し生涯首が不自由であったと伝えられている。また、この戦闘の中、立物を射落とされた長重は、戦後、謙信よりその奮闘を称賛され感状と共に藤原鎌足の子孫ということで金の鎌の立物を拝賜する。
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アーサー王(460~542)

アーサー王物語において アーサー王の伝説上の物語はその配下の12人の円卓の騎士たちの物語とともに語り継がれ、多くのバリエーションを持つが、次第に理想のキリスト教的君主として描かれるようになっていく。ロマン主義の時代にも作品のモチーフとして非常に好まれ、現代でもしばしば映画の題材となっている。物語の細部化に伴い、円卓の騎士の数も次第に増加していった。またアーサー王伝説は、聖杯伝説などとも結びついていく。

城昌幸(1904~1976)

若さま侍捕物手帖 柳橋米沢町、隅田川沿いの船宿・喜仙の二階座敷で、看板娘・おいとを相手に、日がな一日、酒を呑んでは居続ける“若さま”と呼ばれる侍。きりりとした男前だが、名前も身分も一切不詳。その若さまが、天下一品の直感の鋭さで、御用聞き遠州屋小吉が持ち込む怪事件をたちどころに解決する、安楽椅子探偵スタイルの時代小説。

テンジン・ノルゲイ(1914~1986)

エベレスト登頂後 テンジンは後にダージリンのヒマラヤ登山協会の実地訓練監督に就任した。1978年にはヒマラヤでのトレッキングを提供するテンジン・ノルゲ・アドベンチャーズを創設、2003年現在、息子のジャムリングが経営している。ジャムリング自身も1996年にエベレスト登頂に成功している。

箕作阮甫(1799~1863)

蕃書調所 1856年、江戸幕府が蕃書調所を開設すると首席教授を務めた。1858年には、阮甫が尽力してお玉ヶ池種痘所が設立された。当時は蘭方医と漢方医の対立も激しく、開設には非常な困難が伴ったが、主導的な役割を担い、伊東玄朴、大槻俊斎ら80名以上の蘭方医による醵金と幕府への働きかけを行い、私立の施設として開設されたものであった。蕃書調所とお玉ヶ池種痘所は、それぞれ現在の東京大学と東京大学医学部となっており、阮甫が東京大学の基礎を造った。

ジョンストン・マッカレー(1883~1958)

怪傑ゾロ メキシコがまだスペイン領だったころ、その辺境カピストラノ地方で活躍する仮面の剣士ゾロは、強きをくじき弱きを助ける、大盗賊にして真の紳士。賞金首のお尋ね者でもある反面、虐げられたインディオを助け、フェアに1対1の決闘に臨むなど、まさに正義の味方だった。彼が現れた後には、壁にサーベルでZの字が彫られ、これが彼のトレードマークであった。なお、原題 "The Mark of Zorro" の "mark" には「刻印、傷跡、彫り痕、象徴」という意味がある。

碓井貞光(954~1021)

御伽草子~酒呑童子~ 丹波国の大江山には、酒呑童子という鬼神が住んでいて多くの人を取っていた。源頼光はじめ6人の武士がこの鬼神を討つように命じられて、山伏姿で大江山へ入っていった。そして三社の神に守られて、ついに酒呑童子を討ちとった。大江山へ向かう前、源頼光と藤原保昌は石清水八幡宮へ、渡辺綱と坂田公時は住吉明神へ、碓井貞光と卜部季武は熊野権現に参籠している。貞光単独での目立った活躍はない。