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投稿

碓井貞光(954~1021)

御伽草子~酒呑童子~ 丹波国の大江山には、酒呑童子という鬼神が住んでいて多くの人を取っていた。源頼光はじめ6人の武士がこの鬼神を討つように命じられて、山伏姿で大江山へ入っていった。そして三社の神に守られて、ついに酒呑童子を討ちとった。大江山へ向かう前、源頼光と藤原保昌は石清水八幡宮へ、渡辺綱と坂田公時は住吉明神へ、碓井貞光と卜部季武は熊野権現に参籠している。貞光単独での目立った活躍はない。
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ライオネル・ペンローズ(1898~1972)

ペンローズの階段 ペンローズの三角形の派生形の一つで90度ずつ折れ曲がって、永遠に上り続けても高いところに行けない階段を二次元で描いたものである。三次元で実現するのは明らかに不可能であり、歪みのパラドックスを利用した二次元でのみ表現できる。

保阪嘉内(1896~1937)

営農、入隊、文芸記者 嘉内は東京で明治大学に学籍を置き、農業を支える志を貫こうと札幌もしくは駒場の農科大学への進学に向け勉強に取り組んだが、母の急死に遭い断念し、山梨に戻って農業活動に入る。1919年11月から、1年間は志願兵として近衛輜重兵大隊に応召した。除隊後は山梨で職に就く傍ら、勤務演習に数度参加して1923年に士官に任じられた。

オットー・フランク(1889~1980)

ドイツ軍のオランダ占領 しかし1940年5月10日早朝にドイツ軍がオランダへ侵攻した。オットーはその日通常通りに会社に出勤した。オットー以下社員たちは、暗澹たる空気の中でラジオ放送の混乱する情報を聞いていた。放送を聞くオットーの顔色は蒼白だったとミープは著書の中で回顧している。オランダ全土がドイツ軍によって占領され、25日にオランダ駐在国務弁務官として親衛隊中将アルトゥル・ザイス=インクヴァルトがオランダに派遣されてきた。

鶴姫(1526~1543)

大内氏との戦いと鶴姫の活躍 1541年6月に大内氏配下の水軍の将・白井縫殿助房胤らが侵攻すると、大祝職となった長兄・安舎に代わって次兄の安房が陣代となって三島水軍を率いて出陣し、河野氏や来島氏と連合して大内軍を迎撃するも討死した。兄の戦死を聞いた鶴姫は三島明神に祈請し、明神を守護しようとして甲冑を着て馬に乗り、大薙刀を振るって敵陣へ駆け込むと味方を奮起させ、大内軍を撃退したという。

ゲッシェ・マイブルク(1581~1617)

1615年夏のブラウンシュヴァイク攻囲戦 ブラウンシュヴァイク=リューネブルクやブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルの諸公は、中世から近世にかけて何度もブラウンシュヴァイク市が所領に組み込もうとしており、1615年夏の攻撃もそのような試みの一つであった。同市は1615年7月22日から11月2日まで、公の軍に攻囲される。この時、その脅威はそれまでよりも大きいように思われた。なぜならブラウンシュヴァイク市は、所属していたハンザ同盟諸都市からの解囲軍を期待できなかったからである。

安倍泰親(1110~1183)

指御子 泰親は占術や天文密奏の分野において優れた才能を発揮するなど当代屈指の陰陽師となり、鳥羽法皇・後白河法皇の治天の君に仕えて後白河法皇のために毎月の泰山府君祭を行い、藤原頼長・兼実からも信頼されて摂関家にも奉仕した。頼長・兼実の日記である『台記』・『玉葉』には泰親がしばしば登場し、頼長は陰陽書によれば占いにおいて10のうち7当たれば「神」と称されるが、泰親は10のうち7・8を的中させ他人には真似が出来ないこと、占道は未だに地に墜ちず人が存在する、と泰親を高く評価している。日記・説話集・軍記物などにおいて、泰親に関する逸話が多く伝えられており、1148年の内裏火災や1172年の斎宮惇子内親王の急逝、1179年の政変、1180年の以仁王の挙兵などを予言したとされている。『平家物語』・『源平盛衰記』には泰親を「指御子」と称している。また、泰親の日記の一部が現存しており、泰親および天文博士を継いだ次男業俊による天文異変の記録とその解釈、天文密奏の内容などが書きとめられており、当時の天文道の内容を知ることができる。