響きと怒り~第1部「1928年4月7日」~
第1部は、ベンジャミン・"ベンジー"・コンプソンの語りである。ベンジーは、その白痴故に一家の恥の源となっている。ベンジーの世話を心から行おうという数少ない人物は、ベンジーの姉キャディと黒人女召使のディルシーである。その語りは、全体に脈絡のなさで特徴付けられており、継ぎ目のない意識の流れの中で、出来事が寄せ集められている。また、その期間は、ベンジーが3歳の1898年から現時点の1928年までである。この部における斜字体の存在は、話の重要な転換を示すように意図されている。これは、フォークナーが、執筆当初に時間の移動を表すために異なる色のインクを使おうとしたことに由来する。この部は、時間軸の錯綜により、特別に難しくなっているが、この文体のおかげで全体のリズムが形成され、時間軸が整ってはいなくとも、多くの人物の真の心の動きに対する先入観念のない見方を提供している。さらに、ベンジーの世話をする人物が時代を追って変わって行くことで、時の移りが分かる。現時点のラスター、ベンジーが10代のときのT・P、乳幼児のときのヴァーシュがその例である。
第1部は、ベンジャミン・"ベンジー"・コンプソンの語りである。ベンジーは、その白痴故に一家の恥の源となっている。ベンジーの世話を心から行おうという数少ない人物は、ベンジーの姉キャディと黒人女召使のディルシーである。その語りは、全体に脈絡のなさで特徴付けられており、継ぎ目のない意識の流れの中で、出来事が寄せ集められている。また、その期間は、ベンジーが3歳の1898年から現時点の1928年までである。この部における斜字体の存在は、話の重要な転換を示すように意図されている。これは、フォークナーが、執筆当初に時間の移動を表すために異なる色のインクを使おうとしたことに由来する。この部は、時間軸の錯綜により、特別に難しくなっているが、この文体のおかげで全体のリズムが形成され、時間軸が整ってはいなくとも、多くの人物の真の心の動きに対する先入観念のない見方を提供している。さらに、ベンジーの世話をする人物が時代を追って変わって行くことで、時の移りが分かる。現時点のラスター、ベンジーが10代のときのT・P、乳幼児のときのヴァーシュがその例である。
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