大公の地位 1270年にリトアニアの大公の地位についたトライデニスは、分離しようと試みたがナヴァフルダク、ガラドク、ポラツクの諸侯国と戦うことで積極的な内外政策を行った。ナリシアの公であったポリュスとスクシェがトライデニスのもとから逃れてドイツ騎士団のもとに亡命したことは知られている。対外政策の最初の段階は、国境線を広げると同時にドイツ騎士団やハールィチ・ヴォルィーニ大公国から公国を守ることを努めることに確定付けた。1273年にトライデニスはスドヴィア出身のヨトヴィングの公であるコマンタスによる、恐らくはノヴゴロド公国あるいはゴロデッツ公国が統治していたであろうヘウムノに対する遠征軍を援助した。ドイツ騎士団の抑圧下に置かれていたヨトヴィング人とプロイセン人の一部はリトアニアに逃亡した。トライデニスの時代にスロニムのプロイセン人の数が増えたことは知られている。