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和田業繁(不明~1575)

武田氏配下時の動向
1568年末から武田氏と後北条氏の抗争が発生すると上杉方に離反の動きをみせ、1570年頃に謙信宛に差し出した書状も存在する。しかし結局武田氏の元に残留した。信玄が死去すると引き続き武田勝頼幕下の先方衆となり、1574年7月には駿河・遠江方面への出陣の功賞として遠江国山口にて500貫文を与えられている。翌1575年の長篠の戦いでは、籠城する長篠城を俯瞰できる対岸の君が臥床砦に布陣していたが、5月21日、徳川方の酒井忠次の奇襲に遭遇して戦死した。跡を婿養子・信業が継いだ。

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