三洋電機設立 1946年、松下電器に対する戦後のGHQからの公職追放令を受け、松下幸之助を庇う形で30年間勤めた松下電器を退く。翌1947年、43歳の時、守口市に三洋電機製作所を設立し、社長に就任する。幸之助からは餞として兵庫県加西郡北条町にある北条工場と、自転車用発電ランプ「ナショナル発電ランプ」の製造権を譲られた。完成したばかりの工場を失火で焼失するなどのアクシデントを乗り越え、1949年には発電ランプの国内シェア6割達成に成功した。また、ラジオのキャビネットを木製からプラスチックに置き換えコストダウンを図ったり、のちに「三種の神器」の一角になる洗濯機に着目し、これまた国内市場シェアのトップに持っていった。