フランス王家への反抗と服従
フィリップ2世亡き後に即位したフランス王ルイ8世に仕え、1224年にラ・ロシェルを包囲したフランス軍に加わったが、やがてルイ8世と対立し、1226年にアルビジョア十字軍の際にアヴィニョンから勝手に陣払いをしたことで対立が明確になった。直後にルイ8世が急死したため、王妃ブランシュ・ド・カスティーユに横恋慕したティボー4世が毒殺したと噂され、ルイ9世の戴冠式への出席は許されなかった。ルイ9世の即位後母后ブランシュが摂政に就くと、ティボー4世は1227年1月にブルターニュ公国摂政ピエール1世、ラ・マルシュ伯ユーグ10世・ド・リュジニャンと組んで反乱を起こしたが、ブランシュに説得され王家と対立するのをやめ、3月に反乱から離脱した。他の貴族たちも王家と和睦して衝突は起こらなかった。
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