小田原征伐 1590年、秀吉の小田原征伐の時、広照は北条氏照に属して小田原城竹浦口を守備していたが、同年4月8日の夜に密かに城を出て、以前より繋がりを持っていた徳川家康に投降して所領を安堵させた。広照不在の皆川城は上杉景勝らに攻められ、家臣の抵抗むなしく落城したと伝えられているが、実際にはその後の発掘調査や史実との兼ね合いから落城ではなく戦はせずに開城したと見られている。このとき正室や子息は皆川家臣・関口但馬の側近・晃石太郎と共に元皆川家臣である西山田の白石正義の屋敷に匿われていた。晃石はその後、敵に見つかり大中寺で果てた。また皆川城内にあった金の鹿が太平山に埋められたという伝説も残る。