アンモニア大量生産の成功
オストヴァルト一件以降も、固定窒素の問題はボッシュの頭を離れずにいた。当時、固定窒素を作り出す方法として、電気炉を使った方法が知られていた。この方法は1902年にノルウェーのクリスチャン・ビルケランドとサム・アイデによって実行された。BASFでもこの方法を試していて、ボッシュもガラスの装置を自作するなどして関わっていたが、この方法は費用の面で問題を抱えていた。そのためBASFでは他の方法を模索するようになった。そして、1902年にフタル酸工場の増設が終わって手の空いていたボッシュが中心となって、この問題に本格的に取り組むようになった。
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