東フランク王国
東フランクではカールマンの庶子であるケルンテンのアルヌルフが王に選出された。アルヌルフは肥満王とは対照的に交渉を行わずひたすら闘い続けた戦士であり、積極的な対外遠征を行った。まず王位を巡って混乱が続く西フランク王国へと介入して自らの宗主権を認めさせ、ロタリンギアを手に入れて庶長子のツヴェンティボルトをその王とした。ロタリンギア南端に成立していたブルグント王国はロタリンギア統一を試みたがよせつけなかった。さらにアルヌルフは肥満王の養子ルイ3世がプロヴァンス王に即位するための支援もした。891年9月のルーヴァンの戦いではノルマン人を撃退した。治世を通して大モラヴィア王国とも戦い続け、ボヘミアを割譲させた。894年には教皇の要請でイタリアにも侵攻して西ローマ皇帝グイード・ランベルトの親子を破りイタリア王に戴冠した。896年にはグイード亡き後の西ローマ皇帝としても戴冠した。しかし同年にアルヌルフは病気となり、対立皇帝ランベルトへの攻撃は中止された。
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