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伊集院静(1950~2023)

機関車先生 昭和30年代の瀬戸内海に浮かぶ葉名島。この島にある、水見色小学校に北海道より臨時教師、吉岡誠吾が赴任してきた。彼は子供の頃の病気の影響で口をきく事ができなかった。子供たちは彼のことを「口を“きかん”」→『機関車先生』というあだ名で呼ぶようになる。

トーマス・カーライル(1795~1881)

雄弁は銀、沈黙は金 『雄弁は銀、沈黙は金』は、トーマス・カーライルが広めた英語の諺である。発話によりも沈黙の方が価値があるとの意。9世紀のアラブ文化に由来すると考えられている。

白洲正子(1910~1998)

能面 著者はながいあいだ能面に興味をもち、能面をたずねて全国の神社や愛好家のあいだをあるきまわった。能面は能の世界では神聖視されているが、著者は能面をありのままにみて、そこに生命の表現をみいだそうとしている。技術が洗練され、形式が完成するにつれて、はじめの生命そのままの勢いが失われていくのは、どの芸術も同じである。能面もまた時代が下がるほどいきいきしたものがなくなっていると著者はいう。古い時代の、発生期の能面のもつ美しさは「言葉で書けば書く手元から消え失せるような」姿をしているが、そこにこそわれわれの祖先がはじめて表現した、日本人の表情が息づいているというのが、この本を貫く著者の見方である。

エミリー・ディキンソン(1830~1886)

詩作と隠遁生活 この頃、詩作に生涯をささげる決心をしたと考えられている。1860年代初めに、説明し難い精神的な危機にひどく苦しむようになり、同時にあふれるように詩作が盛んになった。1860年を境に、教会には全く行っていない。1861年に南北戦争が勃発。

北条重時(1198~1261)

六波羅探題 1219年に22歳で小侍所別当就任、1223年には26歳で駿河守となり、同母兄の朝時の官位を超越している。1224年6月13日、27歳の時に父が死去し、異母兄の泰時が3代執権となる。1230年3月、京都で六波羅探題北方を務める泰時の嫡子で甥の時氏が病となったため、後任を受けて鎌倉から上洛し、33歳で六波羅探題北方に就任。以降17年間六波羅の最高責任者となる。「御成敗式目」制定に関して泰時から重時にあてた書状はよく知られている。

ヨウン・アウルトナソン(1819~1888)

民話収集活動 ドイツのグリム兄弟の『グリム童話集』に触発され、高等学校に在籍中の1845年頃から、友人マグヌース・グリームソン牧師と共同で民話収集をおこない、『アイスランドの民話』として発表された。この小冊子は反響が乏しく、続篇を発表する目途が立たずに、ひところ収集熱も醒めていた。しかしゲルマン学者コンラート・マウラーが1858年が、自著の取材のためにアイスランドを訪問した際に二人を激励し、収集が再開された。マグヌースの死去後、単独で収集を完成。成果の一部は、2巻本『アイスランドの伝説と民話』としてドイツのライプツィヒでに刊行された。しかし残りすべての資料も補完した完全版の出版は、1世紀近く後の1954~61年を待たねばならなかった。

中村哲(1946~2019)

医師免許取得後 国内病院勤務ののち、1984年、日本キリスト教海外医療協力会から派遣されてパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。以来、20年以上にわたってハンセン病を中心とする医療活動に従事する。登山と昆虫採集が趣味で、1978年には7000m峰ティリチミール登山隊に帯同医師として参加した。