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投稿

住岡夜晃(1895~1949)

真宗光明団 真宗光明団は住岡夜晃によって1918年に生まれた浄土真宗の僧伽です。僧伽とは、人生の道を仏法に聞いていく人々の集まりのこと。仏法が人類すべての人に向けて説かれた教えである以上、真宗光明団も全ての人に開かれた場所です。

ジム・トンプソン(1906~1967)

タイ・シルク その後、OSSのバンコク支局長に就任するが、第二次世界大戦の終結により帰国命令を受ける。しかし、アメリカに残る妻と離婚したことなどもあり、タイに残ることを決意し、当時バンコク唯一のヨーロッパ風ホテルとして知られたオリエンタル・ホテルの経営に携わった後、当時機械織りによる大量生産の普及などで衰退の一途をたどっていたタイ・シルクに着目する。

夏樹静子(1938~2016)

Wの悲劇 和辻家は富豪一族である。一家が集まった正月のある夜、和辻家の令嬢・摩子が血染めのナイフを手にしながら居間に現れ、「私、おじい様を殺してしまった」と絶叫する。全員が集まると、和辻家の当主・与兵衛が殺されていた。

ノア・ウェブスター(1758~1843)

ウェブスター辞典 ウェブスター辞典とは、19世紀初頭にノア・ウェブスターが初めて編纂した一連の辞典。彼の名声にあやかり、その名を冠した無関係の辞典を指す場合もある。アメリカ英語の形成史を探る上で非常に貴重であるのみならず、英語辞典の代名詞としても名高い。

市川清流(1822~1879)

サトウ、松本幹一との出会い イギリス公使館翻訳官だったアーネスト・サトウが清流の『尾蠅欧行漫録』を翻訳し、チャイニーズ・アンド・ジャパニーズ・レポジトリー紙に連載を始めたのは、1865年7月のことである。サトウが日本学者となることを決意したのは、この時期と考えられる。1870年以降、サトウは神道の研究をするにあたって、清流を公使館に招聘して皇典について教示を受けたと見られる。当時公使館に勤務していた松本幹一もまた清流について古典を学ぶ。清流は松本に対しウェブスター大辞典のような国語辞典が日本に必要であることを説いたという。

イヴォ・アンドリッチ(1892~1975)

ドリナの橋 オスマン帝国の名宰相ソコルル・メフメト・パシャは生まれ故郷の近くを流れるドリナ川に立派な石橋を建設するようミマール・スィナンに命じた。ソコルル・メフメト・パシャには忘れられぬ過去があった。少年時代、キリスト教徒の親元から引き離されてトルコ人として教育を受けた。小舟に乗せられサヴァ川の支流ドリナ川を渡って、遠い都に旅立っていた日の暗く苦しい思い出を忘れなかったのだった。成人の後、彼は大出世をして宰相の地位まで昇り詰めて3代のスルタンに仕えた。

小夜福子(1909~1989)

小雨の丘 雨が静かに降る日暮れの街外れそぼ降る小雨に濡れ行くわが胸夢のような小糠雨亡き母の囁き独り聞く独り聞く寂しき胸に「ああ、母さん、あなたが死んで三年、私はこの雨にあなたを想う、雨、雨、泣きぬれる雨、木の葉も草も、そして私も」辛いこの世の雨悲しき黄昏よそぼ降る小雨に浮かぶは想い出移り行く日を数え亡き母を偲べばともしびがともしびが彼方の丘に「ともしび、ともしび、母さんの瞳によく似たともしび、私は歌おう、私の好きなあの丘で、母さんを思う心からの歌、ああ、なつかしい想い出の歌」丘は静かに降る今宵の寂しさよそぼ降る小雨と心の涙よただ独り佇めば亡き母の面影雨の中雨の中けむりて浮かぶ