サトウ、松本幹一との出会い
イギリス公使館翻訳官だったアーネスト・サトウが清流の『尾蠅欧行漫録』を翻訳し、チャイニーズ・アンド・ジャパニーズ・レポジトリー紙に連載を始めたのは、1865年7月のことである。サトウが日本学者となることを決意したのは、この時期と考えられる。1870年以降、サトウは神道の研究をするにあたって、清流を公使館に招聘して皇典について教示を受けたと見られる。当時公使館に勤務していた松本幹一もまた清流について古典を学ぶ。清流は松本に対しウェブスター大辞典のような国語辞典が日本に必要であることを説いたという。
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