東ローマ帝国遠征 941年に、1000隻の船を率いて東ローマ帝国に遠征した。当時、東ローマ軍は東部属州に遠征中、海軍の大半も地中海や黒海を巡航中であり、帝国の首都・コンスタンティノープルは守りが手薄な状態だった。だが迎える東ローマ側は残された15隻の老朽船を修理して出撃し、キエフ艦隊はギリシャの火を浴びせた。キエフの軍船は次々と炎上し、不利と見たイーゴリ1世は黒海に逃れ、黒海沿岸の諸都市を次々と攻略し、住民を殺戮した。キリスト教の司祭や修道士は特に残酷に取り扱われ、兵士の訓練の的とされたり、頭に釘を撃ち込まれた者もいたという。だが上陸したキエフ軍は東ローマ海軍に退路を封鎖されたあげく、ギリシャの火の攻撃を受けほぼ全艦隊が炎上した。イーゴリ1世は辛くも逃れたが、捕らえられた生き残りの兵士はコンスタンティノープルに連行され、衆人環視の元で処刑された。