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投稿

山本芳翠(1850~1906)

西洋婦人像

長沢芦雪(1754~1799)

紅葉狗子図

鳥居清信(1664~1729)

傘差し美人図

尾形乾山(1663~1743)

花籠図

武内宿禰(不明~367)

盟神探湯 278年4月条に、武内宿禰が弟の甘見内宿禰の讒言を受けて殺されそうになり、武内宿禰が潔白を主張したので、天皇は2人に礒城川で盟神探湯をさせたとの記事がある。415年9月条には、上下の秩序が乱れて、むかしの姓を失ったり、わざと高い氏を名乗る者も出てきた。それを正すために甘樫丘で盟神探湯を行ったという記事がある。各自が沐浴斎戒し、木綿の襷をつけて探湯を行い、正しく姓を名乗っている者は何ともなく、詐りの姓を名乗っている者は皆火傷をしたので、後に続く者の中で詐っている者は恐れて先に進めなかったので、正邪がすぐにわかったとある。この条の註記には、「泥を釜に入れて煮沸し、手を入れて泥を探る」という具体的な手順が書かれている。

ルイ・ゴンザレス・デ・クラビホ(不明~1412)

サマルカンド使節団 マドリードの貴族であり国王の侍従であったクラビホはティムール朝の使節団長であったムハンマド・アル=カーズィー、ドミニカの修道士アルフォンソ・パエス・デ・サンタ・マリーア、近衛兵の一人ゴメス・デ・サラサールその他のカスティーリャ人とともに、1403年5月21日にカディスを出航した。クラビホ一行は地中海を航海し、マヨルカ島、シチリア、ロドス島を通ってコンスタンティノープルに到着した。以降、現代の国家や都市名に従うと、クラビホは黒海を通過してトルコのトラブゾンに到着、陸路でアルメニア、イラン、トルクメニスタンを通過してウズベキスタンに到着した。彼は1404年にペルシアのテヘランを訪れている。本来の目的は冬の遊牧期間中に現代のグルジアでティムールに謁見することであったが、悪天候と船の難破により、使節団はコンスタンティノープルまで引き返すことを強いられ、1403年~1404年の冬の期間をコンスタンティノープルで過ごすこととなった。

チャガタイ(1178~1242)

チャガタイ・ハン国 14世紀半ばにイスラーム化するとともに東には天山方面、西にはマー・ワラー・アンナフルに独自政権が成立し、東西に分裂した。1346~63年にはトゥグルク・ティムールによって一時的統合されたが、その死後再び分裂する。西チャガタイには、モンゴル系のバルラス部からティムールが台頭する。東チャガタイはモグーリスタン王国といわれるようになり、しかし15世紀以降はカザフ人やウズベク人が台頭して衰退した。