本多正重(1545~1617) 4月 23, 2025 徳川家を去り諸家に仕える 1578年7月26日の播磨神吉城攻めに際して、織田信忠率いる軍勢に属する滝川一益麾下の足軽大将として参加した。その後前田利家に属し、1584年9月13日には前田家の足軽大将として末森城で佐々成政と戦った。1587年4月1日に豊臣秀吉が豊前国岩石城を攻めた際には、蒲生氏郷の軍奉行として従った。 続きを読む
ルース・ベイダー・ギンズバーグ(1933~2020) 4月 23, 2025 連邦最高裁へ 1993年、クリントン大統領の在任時に連邦最高裁のバイロン・ホワイト判事が辞任し、その後任として推薦される。ギンズバーグは女性の権利に関してはきわめて進歩的で、妊娠中絶の禁止が女性を差別するものだとしてロー対ウェイド事件判決を支持していた。しかし一方、刑事事件などでは、当時同僚で保守派と目されていたアントニン・スカリア判事などともに保守的な判決を下していたため、共和党議員が支持しやすいと判断された。夫のマーティンは法律家としての妻を高く評価しており、彼女が最高裁判事にふさわしい人物であることを自らの人脈を通してワシントンの人々にアピールし影響を与えた。 続きを読む
三好康長(生没年不詳) 4月 03, 2025 織田政権 1576年4月、本願寺との和が破れると、信長は荒木村重・塙直政・長岡藤孝・明智光秀を討伐に派遣した。康長は大和守護であった塙直政の与力とされ、本願寺包囲網に加わった。5月3日、直政は康長を先鋒として三津寺を攻撃したが、本願寺勢の奇襲を受けて失敗。この戦いで直政は討死し、康長は辛くも脱出した。 続きを読む
エドムンド・ランドルト(1846~1926) 4月 03, 2025 視力表~ランドルト環~ 静止視力を測定する方法として日本において最も広く用いられている視標がランドルト環である。これは大きさの異なるC字型の環の開いている方向を識別することによって、2点が離れていることを見分けられる最小の視角を測定するものである。ランドルト環はフランスの眼科医エドムンド・ランドルトによって1888年に発表され、1909年にイタリアの国際眼科学会で国際的な標準視標として採用された。国際基準ランドルト氏環と呼ばれる。国際規格と日本規格がある。 続きを読む