アメリカ時代:1911年 - 1922年~映画デビュー~
雪洲が舞台で活動していた頃、アメリカ映画はロサンゼルスのハリウッドが新しい映画製作地となり、多くの映画関係者がそれまでの映画産業の中心地だったニューヨークからハリウッドへ移ってきた。そんなハリウッド草創期に活躍したニューヨーク・モーション・ピクチャー・カンパニーの映画製作者のトーマス・ハーパー・インスは、雪洲を映画界にスカウトした人物とされている。自伝によると、『タイフーン』の公演3日目にインスが観客として見に来ていて、芝居が終わったあとに楽屋を訪ね、「『タイフーン』を映画化しないか」と誘ってきて、映画出演の契約を結んだという。しかし、1914年に雪洲が兄に宛てた手紙によると、1913年10月にNYMPCの社長に認められて、俳優としてではなく、脚本家として月給300ドルで雇われたという。その後、雪洲は俳優としてインスと契約を結んだと考えられている。
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