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平賀譲(1878~1943)

予備役編入後~東京帝国大学総長~
1939年1月から翌2月にかけて、所謂「平賀粛学」が起こった。東大経済学部において土方成美筆頭の国家主義派と河合栄治郎筆頭の自由主義派の教授の対立が起こり、平賀譲は荒木貞夫文部大臣に喧嘩両成敗で両者の休職を具申した。それに対して、経済学部教授13人が舞出長五郎に辞表を提出し、結果的に13名が追放された。平賀は助教授以下の辞職撤回や教員の補充により1940年までに事態を収束させた。

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