改易・斬首
乱の鎮圧後、1638年5月17日、勝家は肥前唐津藩主・寺沢堅高と共に反乱惹起の責任を問われた。勝家は改易、所領を没収され、4月12日には美作津山藩主・森長継に預けられた。『嶋原一揆松倉記』によれば、屋敷にあった桶の中から農民と思われる死体が出てきたため、これが決め手となり、5月になって取り調べのため江戸に護送され、同年7月19日に江戸の森家下屋敷で斬首刑に処せられた。大名の身分でありながら武士としての名誉の刑である切腹さえも許されず一介の罪人として斬首刑に処せられたのは、江戸時代全体を通しても勝家ただ一人だけである。
コメント
コメントを投稿