知的障害児教育へ
亮一が保護した孤女の中に、知的な発達の遅れが認められる女児が2名いた。石井は彼女たちに深い関心を抱くが、当時の日本において、これらの問題に対する処置や研究はまったくおこなわれておらず、「白痴」と呼ばれて人権侵害が甚だしい状態であった。亮一は、この問題に取り組むことを決意し、2度にわたり渡米し、米国各地の大学・図書館で研究に勤しみ、知的障害児教育の学祖エドゥワール・セガンの未亡人から生理学的教育法を学ぶ。また、ヘレン・ケラーとも会見し、知的障害や特殊な障害についての見識を深める。帰国後、留学成果を実践するため、聖三一孤女学院を在地に因んで滝乃川学園と改称・改組して、知的障害者教育の専門機関とする。
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