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鷹司孝子(1602~1674)

徳川家光の正室
家光との仲は結婚当初から非常に険悪で、実質的な夫婦生活は皆無であり、結婚後ほどなくして事実上家光から離縁された。大奥から追放されて「御台所」の称号も剥奪され、江戸城内の中ノ丸に新たに御殿を与えられた後、「中の丸様」と変えられ、長期にわたる軟禁生活を送らされるなど、家光の在世中は終始忌み嫌われ、冷遇され続け、家光との間に子供は儲けなかった。しかし弟の鷹司信平が孝子を頼って江戸へ来た時には、家光は信平を歓迎し俸禄を与えて召し抱えた。

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