江戸へ
1858年4月、28歳のときの藩主の許しを得て江戸に出て昌平黌に入り、佐藤一斎、安積艮斎に学ぶ。翌年帰郷し、6月に藩主に召されて松山藩に赴き、藩校有終館会頭に就任。31歳のとき再び江戸に遊び、昌平黌詩文掛となる。1861年4月、32歳のとき有終館学頭・吟味役となり、有終館学制改革を行う。6月に松山城の登山口に当る小高下に200坪の宅地を賜り、虎口渓舎と名付け念願の漢学塾を開いた。学徒は十二藩に及び塾舎常に60人から70人を越したという。明治政府出仕の命による東京上京まで11年間にわたって師弟の教育にあたった。1867年9月、38歳のとき奉行格となり洋学総裁兼務となる。この年の10月14日江戸幕府十五代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返還する。
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