桶狭間の戦い
今川氏の勢力が尾張東部に伸長すると信長は牽制のために諸砦を築かせたが、秀敏は飯尾定宗・尚清父子とともに大高城を囲む鷲津砦に配置された。1560年今川義元が尾張へ侵攻し、5月18日に鷲津砦が今川軍の攻撃を受けると清洲城の信長のもとへ注進し、翌日早朝に清洲城へ着到した。これらの報に接した信長はすぐさま出陣して今川義元を討ち取ったが、先だって鷲津砦は陥落している。戦後は今川方より奪取された沓掛城に置かれ、三河岡崎城にあった今川方の松平元康勢としばしば戦ったが、翌1561年には織田氏と松平氏は和睦した。
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