旧薩摩藩士
ハリスは王政復古後の日本政府で働くことを勧めたので鮫島は森有礼ともに帰国することとし、翌1868年、両名は日本に到着した。長沢鼎のみは、アメリカに残り、ブドウ栽培に携わった。同年10月、外国官兼判事、東京府判事などを経て、翌年7月に東京府権大参事となり、1870年8月に外務大丞、同年の欧州差遣、小弁務使を経て、1871年にロンドンに着任した。1872年、中弁務使に進んだのちパリに着任し、弁理公使、特命全権公使と昇進した。この間、お雇い外国人のフレデリック・マーシャルとともに若い日本の外交官向けに『Diplomatic Guide』を作成した。1874年4月、帰国。翌年に外務省の次官である外務大輔となった。
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