自由党党首として
1874年2月に行われた解散総選挙に敗れたグラッドストン自由党政権は、総辞職した。政界引退を決意していたグラッドストンは1875年1月にも自由党党首・自由党庶民院院内総務職をハーティントン侯に譲った。しかしその後もグラッドストンは党に大きな影響力を及ぼし続け、バルカン半島でキリスト教徒虐殺を行うトルコへの反対運動を主導した。ハーティントン侯は反トルコ運動に消極的であったものの、グラッドストンには忠実に行動し、全自由党議員にグラッドストンが提出したトルコ批判決議に賛成票を投じさせた。
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