生涯と作品
1813年、メルツェルとベートーヴェンはよく知った間柄となっていた。メルツェルは『ウェリントンの勝利』を着想して音楽の概形を描き、そこへベートーヴェンがメルツェルの「機械仕掛けのオーケストラ」であるパンハルモニコンによって演奏できるように曲を書いた。2人は何度かコンサートも開催し、そこではベートーヴェンの交響曲がメルツェルのオートマタ演奏に散りばめられた。1814年にベートーヴェンは調書を書き、メルツェルに騙し取られた、この音楽の所有権を主張され、不正確な編曲で不法に曲を演奏されたと主張した。ベートーヴェンはこの調書の中で、メルツェルについて「無礼で粗野な男、教育や教養というものを全く持ち合わせていない」と評している。
コメント
コメントを投稿