異端審問官時代
1307年に異端審問官に任命される。1308年3月に自身初の異端審問を行う。1323年6月に最後の判決を出し、異端審問官の任を終えた。1692年にフィリップ・リンボルクが公刊した『トゥールーズ判決集』によれば、ギーは生涯で907人に対し判決を下した。その内で刑罰は、巡礼が17、十字架着用136、火刑41、生きていれば終身刑17、生きていれば火刑3、死骸の焼き棄て52、死骸の焼き棄て及び家屋の破壊14、掘り出されたまま3、不在において有罪宣告40、十字軍への参加1その他1である。刑罰の減刑は十字架を外す許可135、牢獄からの釈放及び十字架着用139である。投獄に関しては、「狭き壁」と「緩やかな壁」の2種類があり、狭き壁の判決が31、緩やかな壁の判決が268、緩やかな壁及び家屋の破壊の判決は8である。ギーは、自身の異端審問官としてのキャリアの終わりごろの1323年頃に、『異端審問の実務』という本を書いた。
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