型破りな金使いの荒さ・松竹新喜劇から降板
上方演芸界では「北の雄二かミナミのまこと、東西南北藤山寛美」と称され、戦後の上方を代表する遊び人として多くの逸話を残した。バーのボーイに「チップとして」車のキーを渡し、自動車1台を与えたこともあった。そのため、知人に騙された巨額の借金も含め、多額の負債を抱え、1966年には当時の金額で1億8,000万円の負債を抱えて自己破産。松竹と松竹芸能から専属マネジメント契約の解除を通告される。松竹から事実上解雇された寛美は舞台には出演せず、東映の常務だった岡田茂を頼り、東映の任侠映画に出演するなどして生活をしのいだ。
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