社会主義の父
1830年、モスクワ大学に入学した。1847年1月中、ロシア国境をわたりパリに居住した。パリではプルードンと協同した。同年9月にはイタリアへ向かい、翌1848年2月、ローマ滞在中にフランス2月革命の報を聞き、革命に加わるためパリに戻った。しかし、革命の失敗により1852年8月、ジュネーヴ、ニース、パリと滞在し、ロンドンに向かった。ロンドンでは現カムデン区キングス・クロス界隈でロシアツァーリズムに対して農奴解放を支援する「自由ロシア新聞」を起ち上げた。また、ゲルツェンを慕い、のちのロシア革命でメンシェヴィキ派の代表格となったユーリー・マルトフがロンドンにまで訪ねにきた。
コメント
コメントを投稿