小田原合戦
6巻本『北条記』の「川上喜助聞書」によると、小田原合戦で小田原城を明け渡すことになったとき、本丸に居て、秀吉の使者として来た成瀬伊賀守への申し開きを拒んだため「はがい付」にされて秀吉の前に引き出されたが、「北条氏に違背はなく、氏邦家中の者が意図せず違乱に及んだと申し開き致しましたが、御了解頂けませんでした。運が尽きたということでしょう。天下の大軍の包囲にあって100日余籠城を続け、十分面目を施しました。別に申し上げるようなこともございませんので、思いのままに首をお刎ねになってください」と言い、秀吉によって赦免された。その後、山岡道阿弥と共に召し出されて秀吉の御伽衆となり、姓を「岡」と改めた。岡野と改めた。
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