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相沢三郎(1889~1936)

相沢事件
1935年7月15日に真崎甚三郎が教育総監を更迭された。これに不満を持った真崎は自身の鋼鉄の経緯を文書にして皇道派青年将校に配布した。これを読んだ相沢は憤激し、永田鉄山軍務局長が陰謀の首魁であると考え、上京し永田に面会を求め辞任を勧告したが、逆に諭され満足して福山へ戻った。この頃、相沢は常軌を逸した振る舞いが目立ったため、定期異動において同年8月1日、台湾歩兵第1連隊付で台北高等商業学校配属将校となった。同年8月12日に千駄ヶ谷の西田税宅に一泊した後、陸軍省の山岡重厚整備局長に異動の挨拶をおこなったその足で永田鉄山軍務局長を訪れ、斬撃と刺突を加えて殺害した。

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