句仏事件
光演が父親から法主を受け継いだ1908年当時、普段の出費過剰に加えて、焼失講堂の再建費や北海道開拓事業費、明治政府への賦課金などで東本願寺は巨額の負債を抱えていた。光演は再建のため海外投資などを試みたが全て失敗し、債権者の返済要求により所有資産の限定相続宣告に追い込まれた。監督官庁である文部省が指導に入り、岡田良平文相の忠告で光演は管長職を諭旨退職することになり、本願寺在職も辞し、息子の大谷光暢に24世紀を継職した。これに反発して、句仏上人擁護運動も展開されたが、1925年に大谷家相続財産の破産宣告が下され、1929年には光演の僧籍も削除された。光演を支持して抗議運動を展開した近角常観らも僧籍を剥奪されたが、1935年に僧籍復帰は認められた。
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