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三の丸殿(不明~1603)

醍醐の花見
確かな史料に初めて名前が出てくるのは、1598年3月の醍醐寺の花見の記述であり、三の丸殿は4番目の輿にて花見に参加した。御供として随従したのは平塚為広と片桐且元で、側室の序列としては3位だった。

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