教皇就任以降
ルキウス3世の在任中、神聖ローマ帝国とは常に緊張した関係であった。特に、トスカーナ女伯マティルデ・ディ・カノッサが残した領地の所有をめぐって皇帝フリードリヒ1世と対立した。1177年に神聖ローマ帝国とローマ教皇の間で結ばれたヴェネツィア条約ではトスカーナ女伯の所領問題が未解決のままとなっていた。そこでフリードリヒ1世は1182年、教皇庁が領地を放棄する代わり、帝国がイタリアから得る収入の中から教皇に1割、司教に1割の計2割を分配する提案をしたが、ルキウス3世はこれに賛成せず、翌年示された妥協案にも同意しなかった。1184年10月にはヴェローナで教皇と皇帝の直接の話し合いが持たれたが、結局この件について解決を見ることはなかった。一方、新たな争いのもとが生まれていた。フリードリヒ1世は教皇分裂期に実施されたドイツ内の司教選挙を規制し、中でも1183年に行われたトリーア大司教選挙の見直しを要求したが、ルキウス3世はこれを聞き入れなかった。
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