人物・逸話
趙を破った後、秦の覇業を妨げうるのは、もはや楚のみとなった。その平定に当たり、政から諸将へ見通しを問われた際、王翦は「楚は広く兵も多い。兵60万が必要でしょう」と慎重な意見を述べたが、政は若い将軍の李信の「兵20万で十分です」という積極的で勇猛に聞こえる意見を採用し、楚への侵攻を任せた。ここで王翦は自ら引退を申し出て隠居する。しかし、楚へ侵攻した秦軍は、楚軍の奇襲を受けて大敗した。楚軍はその勢いのままに秦へ向けて進軍し、楚の平定どころか秦が滅亡しかねない程の危機となった。政は楚を破れるのは王翦しかいないと判断し、王翦の邸宅を自ら訪ねて将軍の任を与え、王翦が先に述べた通り60万の兵を与える。これは秦のほぼ全軍であり、反乱を起こすには十分過ぎる数だったため、臣下には疑いを抱く者も多数いた。
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