信長上洛後
久秀は主家・三好義継と共に義昭の幕府を構成する一員となって尽力するが、やがて長年敵対していた筒井順慶と義昭が結んだこと等により、幕府を離脱して義昭と敵対した。1571年8月4日、久秀の指揮の下で宗厳は義昭方の筒井順慶が守る辰市城を攻める。この戦いで久秀方は「大和国始まって以来」と言われるほどの大敗を喫し、久秀の一族や多くの重臣が討ち死にした。『多聞院日記』によると、この戦いで負傷した者の中に宗厳の息子もおり、戦場で銃傷を受けて廃人となったと伝わる長男・厳勝は、この戦で障害を負い生涯柳生庄に逼塞することになったと見る向きも強い。
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