ポーランド遠征
オスマン2世が次に企図したのは、ポーランド遠征であった。黒海北岸には、コサックと呼ばれる自由民が居住しており、ときおり黒海を船で南下しアナトリア北岸を略奪していた。さらにはボスポラス海峡に侵入してイスタンブール郊外を襲撃することもあった。この忌まわしいコサックを背後からポーランドが支援しているとして、1621年、オスマン2世はポーランドへの親征を宣言したのである。親征の勝利によって自らの権威を高めるのも、彼の計画のうちであっただろう。ヨーロッパ側の史料では、バルト海進出を狙ってたとするものもある。
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