東映動画設立時
1955年、日本動画の藪下泰司と山本善次郎から今田は日本動画の買収を持ちかけられ、国際的な映像の仕事としての大きな可能性を感じた今田が大川社長に「東洋のウォルト・ディズニーになりましょう」と進言し東映は日動の買収を決めた。1956年1月、東映は東映動画の設立に向け「漫画映画製作研究委員会」を起ち上げるが、委員会は大川社長で、今田は赤川孝一管理課長らと共にその設立準備の実務担当委員に任命された。今田は「カラー長編制作に加え、ディズニー社を始めとするアメリカの長編アニメ制作会社と提携し、その制作技術を導入することを提案。さらに作品制作事業だけでなく、関連商品販売やテーマパーク運営など、広範囲にわたる事業展開を図るべし」「絶対に天然色で、長編漫画でなければ収入はあがらない」などと提案し、今日のキャラクター・ビジネスやマーチャンダイズに近い発想を既に持っていたが、事業計画案を巡り今田と赤川の意見が対立した。結局赤川の教育映画部の意見が優先され、今田の意見は却下、同年7月の東映動画の発足にあたっては短編・中編制作の事業計画のみが記載され、長編の記載はなかった。同年東映動画取締役、1958年朝日テレビニュース社常務取締役で、遠山隆専務取締役を補佐する実務を担当。1959年、東映にテレビ課を新設し初代課長。
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