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マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン(1798~1870)

奇跡の子
1830年、七月革命によりブルボン王家はフランスから追われた。マリー・カロリーヌは国王一族と共にイギリスに亡命したが、国王一家が1831年にオーストリア皇帝フランツ1世が用意したプラハのフランシン宮殿へ向かうことを決めた際、マリー・カロリーヌは同行せず、単身ジェノヴァを経由しローマに向かった。ローマ教皇グレゴリウス16世はフランス王ルイ・フィリップに、マリー・カロリーヌを匿う意図はないと誓った。マリー・カロリーヌはローマから実家のナポリ宮廷へ連絡をしたが、家族すら彼女を疎み、異母弟である両シチリア国王フェルディナンド2世は困惑した。

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