長慶への帰順と三好三人衆
1558年9月には仇敵であった長慶の家臣となっている。以後は長慶の勢力拡大に貢献し、1562年の畠山高政攻めに参陣して武功を挙げた。1564年に長慶が死ぬと、長慶の甥の三好義継の後見役の1人として台頭、三好長逸・岩成友通と共に三好三人衆と呼ばれ、松永久秀を含め三好家中で重きをなした。おしどりを形どった花押を用いていたという。1565年3月には出家して釣竿斎宗渭と名乗り、同年5月19日、他の三人衆、松永久通と共に三好氏と対立する室町幕府13代将軍足利義輝の御所を襲撃して殺害した。
コメント
コメントを投稿