キエフ大公位を巡る戦い~ルーシ内戦~
1015年、貢税の支払を停止した息子ヤロスラフを懲罰するために遠征軍の準備をしていたウラジーミルが急死すると、キエフの人々の一部でウラジーミルが寵愛したボリスをキエフ大公に迎えようとする動きがあった。『原初年代記』によれば、このときキエフ大公の座を狙うスヴァトポルクはキエフ近郊の町ヴィシェゴロドの貴族らにボリスの殺害を指示したという。ペチェネグ人討伐のためウラジーミルから兵を与えられていたボリスは、配下の兵からの「スヴァトポルクを討つべきだ」という献言を退け、無抵抗のうちにリト川の付近で殺された。スヴァトポルクは続いて年端のいかぬ異母弟グレブにも暗殺者を送って殺害し、その遺体は暗殺者らによって「荒野の二本の丸太のあいだに投げ捨てられた。」
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