キリスト者の完全
この書に紹介された「キリスト者の完全」における「完全」は、神についてのみ言い得る哲学的な、絶対的完全を意味しない。「キリスト者の」と限定されているように、クリスチャンが恵みによって、また、信仰によって領有することのできる信仰の状態、すなわちアダムの堕罪依頼、すべての人のものとなった「肉」の性質を、聖霊によってきよめられ、その支配から解放たれた心の状態を言い表している。欠点や過誤のないことではなく、その動機において、絶えず神の愛に支配された状態である。この転機的なきよめの経験の後にも、その人は生涯かけて、恵みによって、キリストの満ち満ちた愛の身たけに達するまで、様々な原因から来る罪への傾き易さを克服して、愛に成長していく。成長の余地を残している。愛における動機の「完全」を「キリスト者の完全」と表現する。
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