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桑名吉成(1551~1615)

藤堂家臣時代
吉成の政治的・事務的な手腕は東軍方の諸将の間でも高く評価され、盛親の兄・津野親忠と懇意にしていた藤堂高虎はその手腕を認めて2,000石で吉成を召し抱えた。ただし藤堂家の家臣となった時代の吉成の事績はほとんど不明である。1615年5月、大坂夏の陣・八尾の戦いで藤堂軍の一員として参加し、かつての主君・長宗我部盛親の軍勢と戦って壮絶な戦死を遂げた。主君と槍を交わすのに忍びず、自ら敵中になだれ込み、自殺したとも言う。

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