織田家臣時代
織田家仕官後の身分は馬廻で、1575年8月の越前一向一揆討伐に参加し、遠藤慶隆らと共に越前国に攻めこみ、日根野隊は白木峠を越えて穴馬谷に侵入し、ここを固めていた一揆を撃破した。1578年11月の有岡城の戦いにも参陣している。1580年閏3月には弟・盛就を初めとして同六郎左衛門・半左衛門・勘右衛門・五右衛門らが揃って安土に屋敷地を与えられており、弘就以外の日根野一門も信長の馬廻に取り立てられている。1582年6月の本能寺の変時には在京して宿をとっていたが、本能寺や二条御所には駆けつけず状況を静観しつつ、美濃の佐藤秀方と書状を交わして今後に付いて相談する。山崎の戦いの後には遠藤慶隆に京都の情勢を伝えている。
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