埼玉県知事選挙出馬とその後の影響
1991年10月、土屋は参議院議長を辞し、翌年の埼玉県知事選挙への立候補を表明する。これに対し現職の畑和も同年12月の県議会定例会で6選出馬を明言。大物同士の一騎討ちの様相となったが、金丸信と田辺誠が双方に出馬を取りやめさせようと画策。この背景には歴代首相と懇意で経世会にも近かった佐久間実・自民党県議団長が「ポスト畑」に意欲を示しており、既に自民党経世会と社会党との間では、畑を引退させ佐久間を後継者とすることで話がついていたという事情があったといわれる。既に政治家としては「あがりポスト」である参議院議長を務めた土屋の突然の立候補表明は永田町では予想外の出来事であった。土屋は出馬に際して「郷土愛」や「地元に恩返しがしたい」などとその意欲を強調したが、叔父同様参議院議員連続5回当選を果たし、閣僚・議長と国政の場においてまさに位人臣を極めた土屋が一都道府県の知事の職にこだわりを見せることに首をかしげる向きも多く、三権の長である参議院議長が任期途中で辞任して地方選挙に出馬するという行為は国会の権威上相応しくないという声も挙がった。
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