占守島の戦い
8月15日の玉音放送後、終戦業務にあたっていた。しかし、8月18日午前2時30分、千歳台の戦車第11連隊本部で堤師団長から戦闘配備命令を受けると、ただちに大和橋の第4中隊に索敵を命じ、本部および隷下の隷下の各中隊に戦闘準備と天神山への集結を命じる。自らも天神山に赴き、戦車第3中隊と合流、その後、第4中隊長の伊藤力男が村上大隊の孤立を報告する。このとき、まだ将校車と第3中隊しかいなかったが、部下たちに、「赤穂浪士となって恥を忍び後世に仇を報ずるか、それとも白虎隊となり民族の防波堤として玉砕するか」を問い、全員が玉砕を決意し、これを受けて敵軍に向けての出撃命令を下す。ソ連軍を撃破し、四嶺山を奪還するも、その後の戦闘で戦車が攻撃を受け炎上、戦死した。
コメント
コメントを投稿